金山の城山桜 品川 農
島根の西端 旧都茂村葛籠にあり明治まで大森銀山の管理下であっ
た 鉱山の里
この入船山城は 益田氏が須佐へ引移の後に 但馬守俊長が応永
三十年(一四二三)に築いた城であった
晩秋 入船山城跡に登り 忘れられた桜の巨木の下に立った
小枝の森 技張り三十米 春を待つ樹令五百七十年の樹
根廻周
囲七・一五米 地上約三米のところで大きく三本に分岐している
西側根元に首の欠けた石仏が祀られ 横を太い枝が登山道に向っ
て地を這いのびている
跡地には 樹令三十年位の桜が左右にニ本づつ立っている
上手
に 一段高く小さな社が祀られ 左手に若い桜を植えてる
この城山桜から 二キロ奥山に 機令約千年の安養寺桜が
競っ
て満開していたのに 平成三年(一九九一)十九号台風で倒木した
安養寺桜の近くに丸山鉱山があった この鉱山の手掘りは
元慶
五年(八八二)に銅鉱の発見によりはじまっている。
この安養寺は 鉱山の繁栄に伴って石見四大寺(尊勝寺・安穏寺・
正法寺・勝連寺)の次に列したと史書にある
この地の盛況な様子を 慶長七年(一六〇二)九月の検地
水帳
に 銀山町・化粧谷・女郎町の地名が登録されている
その後 鉱山は中外鉱業にて 永く採鉱された
それも昭和六三
年(一九八八)閉鉱
鉱山の人 里人 大勢が去って行った 残った人も生活に忙しく
桜は忘れられた
来る春 満花します
「島根年刊詩集」一九九七年版より引用